解剖の勉強
「おーいー。食事のときくらいは、その本読むのやめてくんない?」
テーブルの向こう側で若林はフォークを握り締めたまま、泣き声をあげた。
夕食の最中。今日は珍しく早く帰ってきた若林の料理だ。
「わかしまづう(涙)」
「あー、もうっ!明日解剖の授業があるんだぜ。あの教授厳しいって評判なんだから。それに明日の授業は待ちに待った死体解剖だしっ。予習くらいしていかなきゃ教授に目つけられちまうだろ。」
東洋人だから何もしなくても目立つんだから。
ドイツ在住、若林くんと同居中、現在R大医学部の2期生である若島津くんは言った。
右手と口で食事をし、左手と目で本を読んでいる。その左手にある本は、人体カラーアトラスという名の全頁カラー、364頁、4800円(日本円でね)というシロモノだ。内容は人骨や内臓・筋肉etcのフルカラー写真、そしてその部位の名称がドイツで記されている。
人骨はまだ許せるが内蔵はホルマリン漬けの死体のものだろう、黄茶色となっている。
「お前の苦労はわかるけど、でもそんなん見ながらよくメシが食えるよな。横から見ている俺のほうが食欲なくなるぜ。平然と肉を食ってるお前が信じらんねえよ。」
「こんなことくらいで食欲なくなるお前のほうが信じられんわい。それにお前は少しくらい食欲なくなったほうがいいと思うけどな。」
「俺はこれでもデリケートなんだからなっ。」
「・・・ばか?」
若林の皿を覗くとさすがに肉類は残っていた。普段は軽く2〜3人分を食べる彼にしては量が少ないようだ。自称デリケートというのもまんざら嘘ではないらしい。
若島津は最後の1切れを口の中に放り込み、ごちそうさまでした、と手を合わせた。若林の入れてくれた食後のコーヒーを飲みながらも相変わらず目は本に向けたままだ。時々自分の体の所々に手を当ててはわけのわからぬ言葉をつぶやいている。
後片付けを終えてもまだ若島津は本を読んでいた。
つまらない。
若林はソファに沈み込み、TVのチャンネルを意味もなく変えてみるが、特に気に入る番組もなく、持っていたリモコンを放り投げた。ちらりと若島津を盗み見る。
整った白い顔に赤くややうすめの唇。切れ長の瞳に長く濃い睫毛。本を持つ指は細くて長い。
あ〜あ。
見つからないようにため息をつく。せっかく今日は2人でゆっくりできると思ってたのに。若島津は全然相手にしてくれない。今のあいつの本業は勉強なんだから。
それを邪魔するつもりはないけど。でも。つまらん。
「なーに、しんきくさい顔してるんだよ。」
気がつくといつの間に来たのか、若島津が隣に座っていた。なんでもないと笑顔をつくってみせる若林にいぶかしげな視線を投げる。
「ところで、もう勉強は終わったのかよ。」
話をそらそうと別の話題を出す。若島津の手にはもう先程までの本は見当たらなかった。もしかしたら遊んでもらえる?とまるでしっぽを振る犬のように期待に満ちた瞳でたずねた。
「うーん、なんとか覚えた、かなあ。今日はこのまま寝てしまって、明日の朝、も1回見直そうかと思ってさ。」
ソファに座ったまま大きな伸びをする彼を、若林はドサリと押し倒した。
「おいっ若林っっ!なにしてんだよ!」
「何って、寝るんだろ?」
慌てて逃げようとする身体を深いキスで押さえ込む。しばらくすると抵抗もなくなり、力の抜けきった両腕がパタリとソファの上に落ちた。
若島津はキスが好きなのだ。そして弱い。
キスをするとすぐに立っていられなくなるのを知っていた。そして今も。
泣きそうな切ないカオをしてキスを受ける。
若林はそっと唇を離してみたが熱い息を繰り返すだけで、もう逃げ出そうとはしなかった。
「バカ・・・ッ、やろうっ・・・。その『寝る』じゃ、ないのにっ」
「まあまあ、いいじゃん。勉強につきあうからさあ。」
「?」
不思議そうな表情をする彼ののどもとに噛み付いた。
「ここを切り開いたら何がある?」
突然の問いかけに驚きながらも、真面目に『気管』と答える。もう一度唇を寄せ、その下は?とたずねるとかすれた声で、食道、と答えた。
そのまま胸を開き、唇をすべらす。とたんに若島津はぴくんと大きく震えた。左の突起に舌を這わせるだけで、たまらない、と甘い声をもらす。
「あっ・・・んっあぁ・・・っ」
「この下には?」
乱れる若島津を見てうすく微笑み、問い続ける。若島津は潤んだ瞳で懸命に睨み、途切れながらも肺と答えた。
「じゃ、ここは?」
少し右へ移動する。頬をすりよせると、かなり早いテンポの音が聞こえてきた。指は彼の背すじをさまよっている。
「し・・・ん、ぞ、うっ」
「はい、正解」
にっこり笑って、褒美とばかりに胸への愛撫を激しくした。泣き声のようなあえぎ声が
流れてくる。
こいつって、ほんと、素直というか、頑固というか。こんな状態でもしっかり問題にこたえるもんなあ。
しだいに乱れる彼におぼれながら、頭の片隅でそう思う。
そんなところも好きなんだけど。
瞳をぎゅっと閉じ、どうにかこの快楽を沈めようと首を振るが、しびれるような甘さが広がるばかりだ。若林の唇がやっと胸を離れていったかと思うと指が太もものあたりを彷徨いはじめ、背中に電気が走るような強い刺激があり、気が遠くなりそうだ。
「けん・・・」
「?」
瞳を開けるので精一杯。口を開いても答えることなど既にできないでいた。
それなのに。若林は問題を続ける。
「ここは?」
「それなら、こっちは?」
もう答えられないのをわかっていていじわるく問いかける。顔を見るとやっぱりいじわるな、そして嬉しそうな表情で見つめている。
「ばっか・・・やろぉ。も、こたえ・・・らん、な・・・いっ」
若島津は考えることを放棄した。体の力を抜いて両腕をいじわるな恋人の頭の後ろにまわした。若林は満足そうに笑うと、1つ優しいキスをプレゼントする。
そして快楽を導き出すことに専念した。
朝、目が覚めると味噌汁の匂いが漂ってきた。窓から差し込む朝日は明るくて気持ちがいい。時計は7時をさしている。もう少し眠っても学校にはまにあうな、と若島津は布団を頭までひきずりあげた。
「おーい、若島津。朝飯できたぞ。」
「んー?まだ時間早いじゃん。」
「今日、解剖あるから早起きして見直しするって言ってたろ?」
「げっ!!」
しゃもじ片手に呼びに来た若林の一言で記憶がプレイバックする。
そうだった。昨日は解剖の勉強してたんだっけ。それで一段落したところを・・・
ばすっ
手元にあった枕を若林に向かって力いっぱい投げた。憎らしいほど彼は易々と受け止める。
「せっかく勉強してたのに、邪魔しやがって。てめーは食欲より性欲がなくなりゃ良かったのに。」
「お前だって悪いんだぜ。せっかく久しぶりに2人で過ごせると思ってたのに、相手にしてくれないからさ。」
若島津はぐっとつまってしまった。実は気づいていたのだ。若林が求めていたことを。セックスとかそんな行為じゃなく、心と心がふれあう瞬間を。でも。
「仕方ないじゃんか。初めての解剖なんだから・・・」
「それに、俺は勉強の邪魔なんてしてないぜ。ちゃんとお前の勉強が終わるまで待ってたし、アノ時だって勉強しながらやってたろ?むしろ協力的だったと思うぜ。頭と身体で覚えたから忘れないだろ。」
「それ以上言うな!と・に・か・く。俺の解剖がメチャクチャだったらお前のせいだからな。そん時はしばらく口きかないから。」
「セックスは?」
「とーぜん。するわけないだろ?」
そんなぁ・・・と情けない顔をする若林を放っておいて。朝食もとらずに学校へでかけた。
ところが。
若林の協力のおかげか若島津は教授に大変褒められ、それを知った若林に恩着せがましくその夜も・・・・。
しあわせ?だよね。